2022年5月27日〜29日
ルソン島北部にあるバギオに旅行した時に記録
後半です。
2日目の夕方、
「Barn」というレストランに予約してあり
午後5時の予約だったので
乗馬を終えてホテルに戻る間もなく
レストランに直行しました。
このレストラン、
最終予約が午後5時。
辺鄙な場所にあって
夜真っ暗になるからかもしれません。
しかもコロナ禍なので
1回に1組のみの予約しか受付けません。
なので客は私達のみ。
(夫と私と桃、そして運転手さんの4人。)
コロナ禍で1組ずつの客は
ある意味、安心ではありますが、
こんなに広く、
半分屋外のような場所なので
もう少しお客を入れても安全そうです。
3日目の最終日は
夫と運転手がまたまた自転車乗りに出かけ
私と桃はホテルで待っていました。
夫が戻って午前11時にチェックアウトし
お土産を買いに市場へ。
ところがバギオ市内が異常な渋滞で
市場にたどり着くのが大変でした。
色々買い過ぎたので
荷物を運ぶおじさんを雇って
車まで荷車で運んでもらいました。
来る時は夜中だったので
マルコス坂で来ましたが
(初代マルコス大統領が作り彼の肖像がある)
マルコス・ハイウェイと呼ばれています。
帰りは日本人移民者が
第一次世界大戦より前に
奴隷のような形で作り
大勢亡くなった
ケノン坂を通って下山しました。
ケノン・ロードと呼ばれています。
崖崩れが多いので
しょっちゅう通行止めになっています。
1900年頃はまだ
フィリピン経済の方が日本より良かったので
南米のブラジルやらハワイなどと同じに
フィリピンに移住した日本人が多く居たようです。
ただフィリピンの場合は
殆どの1世がそのまま消えてしまい
2世、3世などほぼ判別がつかない状態です。
結婚した頃から
ケノン坂はしょっちゅう崖崩れがあり
車が転落して死亡事故が頻繁にありました。
道路も舗装されておらず
砂利道でしたので
今は少しは整備されていて
良くなっていました。
一部1車線で
登り、下り
どちらかを止めて交互通行なので
そこだけ要注意です。
以前は有料道路がなく
県道をちんたらと運転しなくてはならず
バギオに行くのに一苦労でした。
県道を通ると
街を通る度に物売りが来て
交差点は巡査がわざと通行をゆっくりにし
時間がかかる仕組みだったのです。
それでも今回、夏休みで大勢詰めかけたので
午後2時半に出て、
帰宅したのは午後7時半でした。
次回、桃はまた乗馬に行きたい
と楽しみにしています。